このほど文化庁が毎年実施している「国語に関する世論調査」の平成22年度の調査結果が公表されました。
その調査項目の中で「性別と言葉遣い」(男女の言葉遣いに違いがなくなってきていると言われることについての考え)が、[平成12年度調査と比べ、「違いがある方が良い」が減り、「自然の流れであり、やむを得ない」が増加]となっています。
どうもジェンダーフリー連の主張に引きずられている感じがします。
皆さん方は、前回述べたような女性の剣道愛好者の増加は、このような世論の動向を反映してのことと思われますか?
筆者は、井蛙の眼ではありますが、今の女子剣道の興隆は、男女平等を本意とはするものの、性差を否定するものではない、むしろその反対だ、との考えをもっています。
また前回紹介しました、鴨志田恵一氏の『平成剣道女性が主役』にあるように、「強く楽しく美しく。平成剣道の真髄は、厳しく優雅に謙虚であれ、と。剣が女を磨く。」に強く共鳴するものです。
しかしながら世界中は、どうも男女接近のユニセックスの時代に突入しているような気がしてなりません。
ところで、「その八(男もすなる剣道)」に対し、最近になって下記のようなご指摘のメールが参りました。
[土佐日記の書き出し引用はわかるのですが、この筆者紀貫之は男性で、女を装ってひらがなでの日記を書いたわけです。男の日記は漢字で、女の日記はひらがなで、という時代に貫之は、男なのにひらがなで書いたのは、この方が表現豊かになる、として女の振りをしたと思われます。さらに問題は、「男も」の「も」にあります。「男がする」のではなく「男もする」となると、日記はもっぱら女がするもの、という解釈をする読者がいやしないか、という疑問です。ですから、「男もすなる剣道」というのは、本来「女がする剣道」を男もする、と読む読者がいないか…]
ウーン、遊び心で引用したものをここまで深く掘り下げて考えてくださっていることに感謝すると同時に、紀貫之はなぜ「男が」とせず「男も」としたのか、『土佐日記』の著された千年以上もの昔に思いを馳せることになりました。
「も」と「が」、紀貫之の意図的誤用は、紀貫之が女性に仮託して仮名文字で日記を書くという行為にたいする面映ゆさの表れと考えるべきか。…いや、ちがう!
紀貫之は、『古今和歌集仮名序』(古今和歌集の仮名文の序文)を書いています。男は漢字、女は平仮名の時代に、男性である貫之が仮名文で書くことは、奇異なことであったでしょう。このような大胆なことができたのは、当時、歌壇の第一人者と認められていた紀貫之であるゆえのことだと考えられます。
この「仮名序」を百科事典で調べますと、「国風の確立の意欲あふれる独自の文化論となっている- 大和言葉を用いて日本人による日本の歌の論を展開しようとした- その後の日本文学全般を規定するほどの甚大な影響を与え続けた」と記されております。
『土佐日記』は、『古今和歌集』以降の作品ですから、貫之はいっそう事典に記されているごとくの確信をもって著したものと思われます。
– 〝男も〟すなる日記というものを〝女も〟してみんとてするなり –
で、「男が」とすべきところ「男も」としたのは、男と女を「が」で区分けされた対抗的関係となることを避けた。そして字体、文体において優雅典麗の、「男も女も」の世界を構築した、とは考えられませんか。
ところで、まことに浅慮で申し訳ありませんが、紀貫之は、〝今時ユニセックスの先がけ〟ではなかろうかと思うしだいであります。
今回はちょっと剣談から離れてしまいました。
ところで皆さん、『剣窓』10月号をご覧になられましたか。「第15回剣道写真コンテスト入賞作品」が掲載されていますが、入賞作品のことごとくが女性を被写体にしたものです。
こういった現象も、これからの剣道についてなにかを示唆しているとは思われませんか。
えっ!まだ『剣窓』を取っておられない? 未購読の方は、ぜひ下記にて定期購読の申し込みをしてください。
つづく
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『古今和歌集』は905年(延喜5年)に勅撰、『土佐日記』は934年(承平4年)12月から翌年2月までの旅日記。
紀貫之の生年は868年(貞観10年)頃で、没年は945年(天慶8)頃とあるので単純計算で77歳没。『古今和歌集』の編纂は貫之37歳のとき、『土佐日記』を著すのは66歳。
この『土佐日記』の後に、『蜻蛉(かげろう)日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更科(さらしな)日記』と続き、日記文学の確立をみる。